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Channel: 西川隆範シュタイナー系アーカイヴ
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子どもの体・心・頭

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 たぶん誤解はないと思いますが、タイトルの中の「頭」は身体の頭部ではなく、知能・思考力の意味です。体・心・頭の順で、人間は成長していきます。体に関してなら、頭・胸・腹という順番で完成していきます。これについては、医療の専門家の方の講座があると思います。
 10年以上前から千葉県に住んでいまして、残念ながら近くにシュタイナー幼稚園はありません。ところが幸いなことに、知人がシュタイナー教育ふうの幼児クラスを作ってくれて、毎日ではないですが、そこに息子(平成9年生まれ)は通うことができました。とてもよい日々を送れた、と思っています。シュタイナー幼稚園ふうの遊びや人形劇があり、オイリュトミーもあって、よかったと思っています。それから、どこかに引越しをしてシュタイナー学校に行くという手もあったのですが、そうできない家庭の事情がありまして、今は近くの公立の小学校に行っております。とてもよい担任の先生に当たったので、ありがたく思っているんですけれど、しかし、やはり公立小学校の問題は多々あるんですね。
 うちの方は、運動会を9月の中ごろにやります。残暑が厳しいときに、連日、運動会の練習です。プールは梅雨の時期です。11月の下旬にはロードレース大会があります。寒い寒いと言いながら、子どもは半そで半ズボンで頑張ってやっております。先生は長そで長ズボンなんですよ。子供は風の子という考えからでしょうが、先生も半そで半ズボンでやっていただくと、どれくらいの感じか体験できますね。西洋では、日本ほど体を厳しく鍛えません。体を十分に保護して、適度な運動を行ないます。シュタイナー学校の体育では、内的な身体感覚を作ることに主眼が置かれます。ところが日本では、運動を通して精神を鍛えるという考え方が続いています。シュタイナーは、体の苦行をとおして精神力をつけるのは古い方法で、心魂そのものの修練が現代的と考えていました。外国の方が、日本の子どもが冬に裸足でいるのを見て、虐待だと勘違いすることがある、と聞きます。今日、中欧と日本の風土というテーマにも触れようと思っているんですが、シュタイナー教育が発祥したドイツ、ヨーロッパでは結構、冬しっかりと服を着させます。帽子を被って、マフラーをして、手袋をして外出します。いま日本では、暖房で室温を上げますが、服をしっかり着て、室温は上げすぎないほうが丈夫になります。
 学校のことをあらかじめ言っておきますと、僕が一番問題だと思うのは時間割です。同じ教科が曜日によって1時限目にあったり4時限目にあったり、ばらばらなんです。しかも、学校の都合で頻繁に時間割が変更になる。子供は一定の時間割、一定のリズムがあって、安心して落ち着いて勉強するし、意思も強くなる。ついでに言っておくと、体育の時間があって、そのあとに勉強の時間というのは子どもが勉強に集中できないので、シュタイナー教育ではしません。
 僕がどうしても馴染めないのが鍵盤ハーモニカ(ピアニカ)です。ああいう楽器で子供が音楽を体験することは本当にかわいそうです。なぜ音楽の先生たちは抗議なさらないんでしょうか。子どもを軽視して、子供はあんなのでいい、と思っていらっしゃるのか。不思議です。大人だったら、ああいう楽器はいやと思って警戒できますが、子どもは何でも無防備に体験します。警戒して有害なものを避けることはできないわけです。小さい子にこそ本物の音を聴かせることが大事です。それから、幼児には5音音階の歌で、長調・短調の曲は9~10歳以後なのですが、年齢に合った曲ではなく、いま流行の歌を学校で教えることが頻繁になされています。子どもには歌いきれない難しい流行歌も、よくやらされます。
 それから、コンピューターが1年生からあって、コンピューターで絵を描いたりします。シュタイナー教育を抜きにしても、それはどうかと思ったので、先生と話をしてみたんですが、話が通じない。とてもよい先生なんですけど。どう通じないかというと、僕はコンピューターの時間は例えば課外授業で選択制とか、少なくする可能性を検討できないかという意見なんですね。先生の答えは、「コンピューターの時間が少なくて申し訳ありません」。つまり、親はコンピューターの時間をもっと増やしてもらいたいという要求を持っている、と先生は思い込んでおられる。ピアニカのことは、「そういう難しいことは分かりません」と言われ、そこで諦めたんですが。コンピューターは仕事で使うよりも、遊びに使うときに害が多くなります。気をつけましょう。
 授業・教科書は僕の子どものころに比べて、格段によくなっています。唯一、醜悪なのは図工です。廃材利用の現代アート風になっていて、心や気持ちが美しさを感じるものではないです。現代アートの多くは知的で、美しさを壊すところに現代性を見出しています。それは子どもむきではありません。
 たぶん全国的に1年生の夏休みの宿題は朝顔の観察ではないでしょうか。種を蒔いて育てるのは、とても良いことです。しかし、観察して記録を書いて提出する、これは7歳ぐらいの子供に合ったことではないです。9歳を過ぎたら観察できます。しかし、1年生は成長して花が咲くのをともに喜ぶのであって、観察対象として客観的に見る年齢ではないです。
 それから「ゆとり教育」になりましたが、実際にはゆとりが増えたわけではありません。土曜・日曜が休めるというだけで、1日の学習時間は増えたし、先生方も仕事がうんと増えました。ほぼ12時間、書類作りや行事の準備で学校にいるそうです。朝7時に家を出て9時ごろ帰宅というのがふつうで、しかも月曜から金曜まで雑用が多いから土曜・日曜にしか授業の準備ができない(保育園の方々も、同じくらいの労働と聞きます)。夏休みも、公立の先生は出勤なんですね(この点、私立の先生は、まだ恵まれています)。時間も気持ちも先生は余裕が少なくなっている。
 以前の保護者は先生に強いことを言えなかったそうです。何か言ったら、うちの子を先生がどういうふうに扱うか心配だから意見を控えていた。学年末になって先生が代わると分かって、いっぱい文句を言った。ところが今は、最初からずいぶん厳しく保護者が先生に意見を言う。先生がおじけてしまって神経的にまいっている状況だそうです(モンスター親対策にかなり労力を裂いていらっしゃる)。親は先生を信用せず、先生は親を警戒するという、とてもまずい関係が各地で生じています。
 時間や気持ちに余裕がない先生は、そのなかでぎりぎり教えることをこなすしかない。そうなると、先生は真面目に授業をする。ところが、生徒は授業の中に真面目な部分と息を抜いたところがないと、楽しく勉強できない。準備・気持ちの余裕がないと、うまい息の抜かせ方ができなくなり、教える一方になりがちです。あたかも、息を吸い続けるようなものです。息を吐かなければ、生きていけないですね。
 この数年、お医者さんたちが子供を見ていると、子供の脳が昔に比べて変わってきているそうです。犯罪を犯す子供たちが心理的に云々以上に脳に異常が見られるということ以外に、子供たち全体の脳に変化が生じていて、脳が一息つけない状態になっている。いつも緊張している状態に脳がなっているそうです。体温は朝昼夜で変化しますね。ところが脳の温度が変化しなくなっているそうです。活動状態の体温を脳がずっと保っている。休息状態、脳の温度が下がる時期がなくなっている。夜間も子供たちの脳は緊張状態になっているそうです。
 これが今いろんな子供が授業をちゃんと聴けないとか、不登校の原因であろうと言われています。学校に行きたくないという気持ち以前に、脳がもう限界の緊張状態になっていて、どこかで休まないと身体的に持たないという信号を体が送っている。
 ここから言えることは、子供たちを十分休ませてあげよう、ということです。ところが、いま多くの家庭で、昔に比べて親が子供の教育を大事に考えています。放って置きっ放しではないんですね。その結果、子供は家に帰っても、勉強が大事という雰囲気で生活させられる。昔は家庭は学校と切り離されて、違う感じの時間を過ごした。でも今は、家庭も学校の延長線上にあって、家でも休息できずに、学校にいるようなプレッシャーがある(本当は「スクール」の語源を遡っていくと「レジャー」に行き着くので、プレッシャーはないはずなんですが)。だから、公立の小学校に行かせたら、家庭では脳を十分休ませる時間をとってあげることが大事かと思います。
 つい最近、学校の子供たちの作文集を読んでみたんですが、実にうまいです。○○小学校△年××××となっているんですが、最後に指導□□□□となっている。つまり、先生がうまく書き直させている。先生の指導力の大会みたいで、子供らしい文章ではなくなっている。僕らはつい大人の感覚で「これが良い」と思うことを、そのまま子供に適用してしまっている面があると思うんです。僕らが考えている理科や社会を簡略化して教えたら、それが子供用になっていると思っている。子供は感覚や発想が大人とは違う、ということを忘れている。
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 体も心も頭も健康であることが第1です。体の健康、第1に食事ですね。2004年秋号に森尾先生の記事があるので、繰り返す必要はないと思います。幼児期の食事が一生の健康の土台になります。
 シュタイナー教育の考えで言うと、生後9カ月から1年くらいは母乳でいきましょう。1年以上母乳というのはやらない方がいいという考え方です。あまり長期の母乳はお母さんからの影響を受けすぎて、自立に影響が出てくる。ご承知の通り、いま母乳が汚染されています。特に第一子が汚染の影響を受けます。それを避けるために粉ミルクのほうがいいのか、少々汚染されても母乳のほうがいいのかという議論が続いています。母乳か粉ミルクかで、50代後半以降どれくらい元気かが決まってくるそうです。もちろん母乳がいいのですが、いま言った現代の問題で、ドイツの一般的な医者は母乳は3ヶ月で止めようという意見になっています。
 母乳と同様、子宮も今は汚染状態といいます。できるだけ、出産以前から自分の体を健康にしておく。いいものを食べ、よい水を飲み、いい空気を吸って、いい体内環境をつくっておく。妊娠中、アルコールとジャガ芋は控えます。ジャガ芋は生後1年以内も与えないほうが無難です(思考力の育成のためです)。妊娠前も、アルコールを摂取していた場合、父になる人の飲酒は子どもの神経を害し、女性の飲酒は子どもの内臓を害する、とシュタイナーは言っています。また、シュタイナーがアルコールは自由な精神を妨害し、神や前世が見えなくなるというので、シュタイナー学校の先生やアントロポゾフィーの指導者たちのあいだでは自発的な禁酒が当然のことになっています。今後出産する方がいらしたら、妊娠中は気持ちがゆったりできる、安心できる生活を送るのが一番です。
 シュタイナーは、離乳以後も子供に乳製品・ミルクが持っている価値を強調しました。子供にはミルク、大人には蜂蜜、と彼は言っています。森尾先生のご指摘のとおり、日本人の腸は西洋人と違って牛乳をよく消化できないとか、アレルギーの問題があるということがあります。ときどき日本のシュタイナー教育の現場で、ドイツやアメリカの年中行事にしているところがありますが、日本の風土に育つ子供には日本の季節の行事を旧暦で体験させるほうが健康な子に育つというのと同じです。お子さんをよく観察なさって、どの程度だいじょうぶか見ながらいったほうがいい。お米も、玄米が大丈夫な胃腸かどうか見ながら、適度に変えていった方がいい。なにか一般原則があって、それで行こうではなくて、個人個人違いますから、よく見ることが大切です。
 僕らもそうであって、血圧は百いくらとか、体重は何十キロとか、平均を気にしすぎることはない、個人個人健康は違う、とシュタイナーは言っています。だから数値よりも、自分が一番調子がいいという感覚を大事にするといい。子供も小学校の頃から蜂蜜は大事になってきます。なぜかというと、大地に6角形の水晶の結晶ができるように、人体も6角形の力を持っているそうです。この6角形が年齢とともに弱ってくる。6角形の巣でできる蜂蜜は、体を補強できるのだそうです。これが大人、老年の体力を維持していくそうです。あらゆるものがそうですが、品質の良いものを選ぶことが大事ですね。小さなスプーンでちょっと掬うくらいで十分です。摂取したものが栄養になるというより、それを摂取・消化するときの刺激によってエーテル的な力が活性化するわけですから、ごく少量でいいわけです。オイリュトミーをやっていらっしゃる方はご存知のように、体を大の字にすると、そのペンタグラム形がエーテルの流れに合いますし、両腕・両脚を広げると、その2つの3角形がヘクザグラムになってアストラル界に合います。
 それから体の健康に関しては、季節に合っていること、睡眠と起床のリズムが大事です。ご存知の通り、いま子どもは夜が遅くなって睡眠時間が減っています。シュタイナー教育にかぎらず、健康について研究なさっている方は皆さんおっしゃいますが、夕食というのは夕方たべるのであって、夜ではないんですね。夕方に夕食を食べれば、食後ゆっくりしても寝るのはそんなに遅くならない。夕食後2~3時間たって寝るのが健康に良い。ベストは7時ですが、8時には寝たいですね。学校は朝早いですからね。そうなると、夕食は4時台。英国のファイヴ・オクロック・ティーは労働者階級の家庭の夕食ですが、それよりも早く。ぼくもドルナッハで4時のお茶に招かれたことがあって、おやつかと思ったら、それが夕食でした。小食なんですよ。日があるうちに夕食を食べるのは、なかなかいい気分ですよ。夜ここちよく眠って、朝きもちよく起きる。丁寧に着替えをして、ご飯を楽しんで出かける、という1日のパターンを作ってあげる。眠るときに良い気持ちで眠れるように、美しい詩などとともに寝かしてあげる(大人も枕頭の書があると有益です)。朝おきるときも、きれいな歌か、ライヤーを弾いてあげる。そんな美しさが生活のなかにほしい。今の時代は役立つものが重視されますが、直接的に効果が出なくても、気持ちの和む美しい時間がたっぷりあるのが子供にはいい。大人にもいい。ちょっと無駄のような、特に意味がないような美しいことが生活の中にあると、自分の心が柔らかく大きくなります。
 専門的に言ったら、おそらくシュタイナー教育の注意点は何十もあると思うんです。それが全部身についているに越したことはないですが、それらを頭に詰め込んで窮屈になるより、数個くらいの大原則に沿っていれば大丈夫で、その大原則を体得していれば、個々のケースに自然によい対応ができるはずです。その方が気持ちに余裕があって、うまくいくと思います。少々の失敗は悩まなくてもいいです。いくらか失敗があっても、子供は意外に柔軟で強いものだから、乗り越えていってくれる。反省して悩むより、そのときからでいいから改善していく。
 最初に言いましたように、うちの子はシュタイナー教育ふうの遊びに触れる機会がありました。いま普通の子と付き合っていますが、心配ないようです。何人かの方が心配するのは、幼稚園のときにシュタイナー教育にしても、そのあと普通の学校にやった場合ずいぶん違うものだから、むしろ普通の幼稚園ふうのことをやらせた方が、子供にとっていいんじゃないかということです。そういう方々は、シュタイナー教育はいいけれど、社会は楽園ではないんだから、幼稚園も普通一般のほうが、先のことを考えるといい、というんですね。最初から苦労に慣れているほうがいい、という考え方です。これは体に例えると、お昼ご飯を皆いけないものを食べるんだから、朝食も悪いものを食べておきましょう、というような考えです。でも、朝食だけでも良いものを食べておけば、お昼が少々問題でも、なんとか体はもっていく。だから、たとえ最初の数年間であっても良い教育があれば、それが基礎体力のようなものだから、その後もやっていけるんです。小学校に入った後、他の子が知っているポケモンのキャラクターの名前も、いくつか覚えました。しかし不思議なことに、ポケモンのテレビを見たい、とは一言も言わないですよ。でも、学校での会話は成り立っている。ということで、今のところはうまくいってます(この点は、現在でもそうです)。
 テレビについては、よくご存知でしょう。一つには、子供が自分から努力することなくテレビが楽しませてくれるので、受け身になってしまう。そうなると、自分から喜びを作り出すのが不得意になる。ずっと受身でいると、子どもはその状態に耐えられなくなります。息を吸ったら吐くように、受けると吐き出したくなる。じっとテレビを数時間以上見たら、活動したいという欲求が溜って、暴力的に発散する。壊したくなる。
 もう一つ、テレビ番組はとてもうまく作ってあって、分かりやすいです。そしたら、分かりにくいものを自分で理解して分かろうということができなくなる。特にテレビは聞いてすぐ分かるように話してくれるので、それに親しんでいると、込み入った難しい文章を読解できなくなってくる。今20歳前後の人で昭和初期の小説を読んで、言葉が難しくて分からないという人がいます。名作を味わえないのは、もったいないです。言語のことは、後でもう一度触れます。テレビを見ていいのは16歳からといいますね。妥協策は、10歳以後、親と一緒に見るです。テレビを持たないという方法、テレビ室を作って、そこに入るときは改まった気持ちになるという方法、テレビを見るときは正座にして、足が崩れたら消すという方法があります。
 テレビのことで、受け身になって破壊したい衝動が出てくるといいました。勉強では、子供が小学校に入って算数の時間、まず足し算をやります。足し算は付け加えて、積み上げていくものですね。こればかりやってると、その反動で崩したくなってくるそうです。普通の学校では、1学期中は足し算ばかりですね。そしたら、どこか算数以外のところで崩したくなってくる。シュタイナーの見解では、世界観自体が分解的になる。すべてのものは原子へと分解できる、という考えになるのだそうです。もし割り算をやっていたら、そういう思想は出てこない、と彼は言います。まとまりのある一体を思うそうです。だから算数で、付け加えと分解の両方をやっていれば、そこで気持ちがすっとする。授業でそれをやらせてもらえないと、ほかのところで壊したくなる。ですから最初から割り算をやる。割り算や掛け算は1年生には難しいのではないか、と心配する必要はありません。四則全部をやるほうが、算数の面白さを体験できます。なお、シュタイナー学校では集中授業方式のエポック(ブロック)授業で算数を学びますが、どの季節にどの学科がよいかを考慮しています。春はじまりの日本では、秋はじまりの欧米と別の工夫が必要です。
 子どもが勉強に身が入らないとき、爪を切ったら勉強に集中できることがある、とシュタイナーはいっています。髪に関しては、基本的に男の子は切った方がいい。女の子は、ある程度のばしているほうがいいといいます。女の子は髪を切ると元気になりすぎるそうです。だから、女性は中年以降、髪を短くするといい。髪を切った断面から空気中の栄養分を取り込める。少女は十分に元気だから、切ったら活発になりすぎるんだそうです。
 男女のことでは、お腹の中で約8週間は男女で差はないんですね。もともとは女で、8週を過ぎる頃から、男の子はYの染色体が出現して男性へと変化していく。出産直前に男女で脳の構造がやや違ってきます。小学校に入るとき、女の子が男子より1年すすんでいます。女性は7年周期で成長し、男は8年周期で成長します。たとえば、35歳の女性と40歳の男性が精神年齢は同じくらいになります。女性は同年の男を子どもっぽく感じるでしょう。
 幼児期のことをもう少し話しますと、第1に3歳頃、大人が見て危なげなく歩けるようになることです。しっかり歩けることが基本です。子供の気質によって歩き方にも差があるんですけど(胆汁質は地面に食い込むようにどしどしと、多血質はつま先で跳ねるように軽やかに、憂鬱質はうつむいて足を引きずるように、粘液質はおなかが出てだらだらと)、しっかり歩ける子供は、しっかりと話せる。5歳頃、日常的な話ができるようになればいいです。5歳頃しっかり話せたら、その子は7歳以降、しっかり考えられる。
 言語の話ですが、よいのはその土地の方言が話せることです。方言は素朴な心に関わっているように思えますが、頭にも関係してきます。というのは、方言は標準語よりも言語として複雑なんです。標準語では表現できない微妙なことを方言は表現できる。言い回しが細やかなんです。方言を話せるということは、複雑な思考をこなしているということです。心の面では、方言で嘘をつくと心が痛むけれど、標準語なら頭だけで嘘をつける、とシュタイナーは言っています。
 言うまでもありませんが、英語は小学校に入ってからやるものであって、幼稚園でやっても益はないです。幼いほうがネイティヴのように習得することは確かですが、外国語は1日2時間×2年で習得できます。ぼくは普通に中学高校で英語、高校大学でフランス語を勉強し、ドイツ語は勉強せず留学しました。1年間で挫折したのがラテン語、サンスクリット語、ギリシア語。独学で途中でやめたのがチベット語とエスペラントです。だから、語学は苦手なんです。前世で語学が得意だった人は、現世では特に語学が得意ではなく、心の開かれた人になっている、とシュタイナーは言っています。
 アリストテレスやペスタロッチも述べていますが、子供は親のまねをして育つ。これが道徳教育につながります。親がどういう考え、どういう感情で暮らしているか、それが親の言葉や動作に出てくる。子供は親の動作や口癖を真似して、その元になっている考え・思いをだんだん吸収していきます。約10年間この模倣を通して、子供の内面に染み込む道徳になっていきます。悪いことは嫌、良いことはうれしい、これが心に吸収する道徳なんですよ。頭のなかにとどまっている道徳、「これはしてはいけません」とかは表面的です。シュタイナー教育のことをよく「自由への教育」といいます。自由な人間に育てることが教育の目的。自由な人というのは、自分の内面の欲求に沿って生きていて、それが正しく生きていることになっている人。自分の内なる良心に従って、不自由を感じていない。ところが、頭に入れた道徳でやっていく人は、外から言われた規則に従っている。外から規制されたものでやっている。これは不自由な人間だ、というのです。自由で道徳的というのは、大人の模倣からできてくる。
 童話も心を作る力が大きいです。3歳では短くてストーリーが単純で、主人公が大きな苦労をせずにうまくいく話がいいと思います。だんだんと話が入り組んで、苦労を乗り越えて成功する話にいけばいいでしょう。繰り返し同じ童話を聞いていると、主人公が苦難を乗り越えて何かを達成するストーリーが自分の中に入ってくるので、努力しようという気持ちが身についてきます。皆さんの好きな童話を数話~十数話えらんで、繰り返し語ってあげると、とてもよいと思います。
 いま道徳教育の見直しの動きがありますが、今いった方向とは違って、昔のように厳しくしつけようという意見になっています。子どもは大人より進化してるんですから、昔の道徳に戻そうとするのは逆行です。もちろん甘やかすのは問題です。しかし、復古的に厳しければいい、ということはないでしょう。しかられるから行儀よくしている、というのは受け身。それが一定期間を過ぎると、自分からものごとに関心を持てなくなる。そして、その反動で、乱暴に全てを壊したいと思ってきます。
 さて、子供は大人を模倣すると言いました。古語「真似ぶ」が「まなぶ」に、古語「愛しむ」が「おしえる」になっています。模倣される大人はどうしていればいいか。これがさっき言った、美しい時間という余裕があること。真似をされるにふさわしい、伸び伸びした大人になっていること。だから、まず私たちは美しいことを楽しみましょう。ちょっと贅沢な時間を持つことです。ただ、安楽すぎる生活は心を虚弱にするので、日常の生活でせっせと体を使うことも大切です。大人は何かを断念すると、意志を強くできます。また、大人がむやみに世間や未来に批判的・悲観的だと、子どもはやる気をなくします。
 もう一つは、家族が仲良くて和やかな感じ。人間は一生の間、幼児期の家庭の雰囲気の余韻が意識下に残るといいます。意識下の幸福感、幸せな幼年期の余韻が心の一番深くにある。それが、この人生を生きようという一番の原動力です。生きるのは幸福だという根本の思いがあって、それが一生を生き抜く力になる。幼少のころを振り返ると、楽園のような根元的な幸福感があるので、大きくなってどんなにつらくても生き抜いていけます。
 子供が勉強をしだすのは、9歳~10歳という年齢を踏まえればいいと思います。3歳でしっかり歩く、5歳で言語の基礎ができる。6~7歳で学校に入りますが、まだ学問的な勉強ではありません。
 9歳頃までメルヘン的なイメージ世界を感じています。子どもも自分と同じように思考すると思って教育する大人がいます。女の気持ちが分からない男がいるように、子どもの感覚・思いが分からない大人が少なくない。子供の心身の感覚は大人と違う。9歳から10歳に、自分と自分以外を区別できてきます。それ以前の子どもは自然に包まれている経験をするのであって、自然を対象化して、距離を置いて眺めるのではありません。9歳・10歳頃から、ものに距離を置いて対象化できてきます。メルヘン的な世界から現実に目覚めてくる時です。
 9歳頃から生物の勉強ができます。植物に関しては、大地と切り離さず、大地と一体のものとして教えます。その植物が育つ地域の自然全体の話をする。そうすると、命はつながりがあるということが、おのずと分かってきます。動物は人体との比較で教えていきます。また、身近な地域の社会科的な話をします。
 つぎに12歳頃が大事で、物事同士の関係が理解できる時期に入ってきます。このとき理科では鉱物・化学の勉強を始めます。社会科では歴史。出来事同士の因果関係が理解できます。それまでは、歴史は物語であって、事件相互の関係を説明することはありません。
 ご存知のとおり、シュタイナー学校では教科書がありません。すべて先生が語ります。教科書に頼らずに自分で語れる先生が信頼されます。中学・高校では、テキストを題材にして考えることができます。9歳の終わりごろ、先生や親の能力に疑いを持つことがあります。9歳が終わる数週間、大人は特に確かな態度で対処する。すると、その後は子供が信用してくれる。
 大人が子どもに付き合って小中の勉強をやり直すのは良いことです。シュタイナー学校は8年間担任が持ち上がりです。8年間やったら先生自身が精神的に1段進歩する。だから、親も8年間勉強に付き合えば、精神的に一段高まるはずです。8年間かかるイニシエーションと言うことができるでしょう。神秘的な修行をしなくても、学校の勉強をきちんとやったら精神的に一段大きくなる。
 小学校の最初に、思考への導入としてフォルメン(フォーム・ドローイング)があります。クレヨンで図形を描くものです。これがとてもよい思考の準備になります。水彩できれいな色を塗るのは心に作用します。一方、形を描くときは、頭を使います。調和的な形を描くと、頭も心もすっきりします。
 ティーンエージャーのころ、大事なのは先生自身が自分の教える学科に、どれだけ熱中しているかです。自分がつまらないと思っているものを教えたら、生徒も面白いわけがないですね。どの学科も本当はとても面白い。勉強以外のことに気が散らないほど面白い。そもそも非行というのは、勉強がおもしろくないからです。もし10代で非行に走るなら、その原因は先生の授業がつまらないから。シュタイナー教育のメソッドは抜群にいいです。それが半分。あと半分は、どういう先生かなんです。公立学校や一般の私立にも、立派な人格の先生はたくさんいらっしゃいます。人智学は最も優れた思想と僕は思っているのですが、人智学の運動家が他の方々に比べて人間的に立派とは言い切れない現状も一部にはあります。
 先生方は学校に行く前に、きょう出会う生徒のことを一人ひとり思ってみます。親はむしろ夜、今日1日の子供の様子を思い浮かべてみます。自分の希望をこめずに、ただ思い浮かべます。
 最後に、僕たちは子供1人ひとりが持っている良い運を確信しているといいと思います。心配するよりも、その子の持っている良い運を確信している(その子の心魂の発展を見守る守護天使、その子の生活の安泰を願う守護祖先がいるといいます)。その確信は安心感として伝わるはずです。いろんな問題が世間にはありますが、まず自分たちが良い生活をしていくしかないでしょう。やがて今の社会の弊害・限界が表に出てきて今日の文明は苦しい事態に陥るのではないかと思います。この時に、そこを乗り越えて新しい社会や文化の可能性を作れるのは、いまの主流とは別の発想を持っている人でしょう。そんな人々の大きな部分がシュタイナー教育を受けた人だと、僕は思っています。

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